異端の古代史のブログ

古代史の定説を切る

人類大移動

どのようにして移動したか 
 南米の猿はアフリカから渡ったとされる。
直線距離にして約3000km。木に掴まって海の上を漂流して南米に渡ったらしい。海流がアフリカから南米に向かって流れているから出来た事だろう。スマトラ島からアフリカ・ソマリアまではほぼ5000km。少し アフリカ-南米 よりは遠いが3000kmはよくて5000kmは駄目と言うものではあるまい。海流はやはりスマトラからアフリカに向かって流れている。


 マダガスカルにはキツネザルが生息しているが、その祖先はインドネシアにある。マダガスカルがゴンドワナ大陸から分離したのは一億五千年前。霊長類が生まれたのは5千万年前。だから霊長類はゴンドワナ大陸が分離した後、移動してユーラシア大陸にくっ付いた後に移動したと考えられているのだ。原猿類と言う原始的な小型のサルが、中東やアラビア、シナイ半島など昔から砂漠だった所を通過してアフリカへ歩いて行ったと言うのか?マダガスカルに住む原猿類にアイアイと言うサルがいる。アフリカには近縁のサルは居ないが、インドネシアには居る。原猿類はインドネシアから海を越えて移動したのだ。海流はマダガスカルからアフリカ大陸に向かって流れており、アフリカからマダガスカルにやってくる事は至難の業だ。だからはっきりとアフリカから来たと言う生物は多くない。アイアイもワオキツネザルが5000kmの海を越えて渡っているのに、人間が渡れる筈がないと言うのは偏見と言うもの。


 ヒト科でもっとも原始的なテナガザルは東南アジアにしか生息していないのに、アフリカでテナガザルから類人猿に進化したなどと言う馬鹿な話を考えつくのはオカシイであろう。そして、類人猿からヒトが生まれたのなら、アジアで進化した可能性だって出てくるだろう。まあ、類人猿が生まれても、原人からホモサピエンスになって行くにはさらに長い道の
りが必要で、その間にアフリカへ渡った原人も多数いるかもしれない。だからミトコンドリア・イブまでアジアとは必ずしも言えないだろうが、しかし、可能性は どちらにもあると言う風にしておくのが無難ではないか。 中東のアラビア半島やシナイ半島は樹木が生い茂る森林地帯であった事は類人猿の生まれた1000万年前までは、なかったとされる。テナガ
ザルもオランウータンも歩いてアフリカに渡ることは無理だったであろう。


 全ての霊長目の祖先であると目されるツパイと言う動物がいる。これもインドシナ半島、マレー半島、スマトラ、ジャワおよびボルネオ島に分布するのである。小型の動物だから東南アジアから徒歩でアフリカまで行く事など出来ない。これらがアフリカに無いのだからアフリカに居る全ての霊長目はインドネシアから移ったのだ。


その辺の事を深く追求することなく、文化人類学が出来上がっている。


 インドネシアは火山国であり、大きな火山が数千万年の間に何度となく壊滅的な被害を齎したであろう。7万数千年前のトバ火山の爆発ではその火山灰は地球を覆い、地球の温度を5度も下げ、氷河時代到来のきっかけとなったと言う。トバ山噴火はインドにも1mもの火山灰を降らせた。しかし、熱帯多雨地帯の気候はその度に動植物を復活させ、多様な生物を育んできた。


トバ山の噴火
 7万4千年前人類は絶滅の危機にひんした。
それは他の動物においても同じだったであろうが、インドネシアのトバ山が大噴火をし、吹き上げられた火山灰によって太陽の光が遮られ、地球は寒冷化した。一気に5度くらい低温になったのである。
 別項 トバ山の噴火とウィルス 参照


氷河時代 トバ山の爆発により最終氷河期が訪れる。
 氷河時代最寒期には気温が10℃以上低下し、あらゆる生物が絶滅の危機に陥った筈である。熱帯に属するインドネシアでは全地球的気温低下にもめげず、様々な動物が繁栄をした。人類も同じであったであろう。
そして氷河期も同じ低温が続いたのではなく4万年前に一時的に温暖化する間氷期もあった。
 私は農耕は東南アジアで4万年前くらいから始まっていて、氷河時代の終わりとともに東南アジア人が世界に拡散したのではないか、と考えている。6千年前くらいには地球温暖化がピークに達し、東南アジア人達は緯度の高い北欧にまで達する。そこで高緯度低紫外線に対応して白い肌になる。東南アジアから農耕を携えて東アジアや北欧まで行ったのだ。欧州では土器などを伴う新石器時代と農耕が東アジアより遅れている。中国南部では7千年前から稲作が始まり、中東では7千年前から麦作が始まる(メソポタミア文明)。インドは9千年前に始まっていたとも言う。


 日本では三万8千年前から始まった後期旧石器時代はごく短い期間で終わり、一万五千年前に新石器時代が始まった。欧州は日本より8千年も遅いのだ。欧州は東南アジアからの距離が遠いからだ。アジアから行った人たちは、まず中東に行ったのではないか?アフリカの方が行きやすかっただろうが、砂漠地帯でとても住みにくい。アフリカ南部を除いてサバンナか砂漠しか無い。ここで人口を増やして世界へ出て行くなど考えにくい。


 東南アジアからどうやって欧州まで行ったかと言うと、船でインドまで渡った可能性が高い。東南アジア人は4万年前から船に乗って、沖まで出てマグロを釣っていた位、船の技術には長けていた。渡海説のネックは水分の補給が出来ない事で、水無しでは人間は1週間程度位しか生きられない事だ。 しかし水分の補給は魚を捕って食べれば何とかなる。魚は鰓から塩分を排出する能力があって、魚の体液は海水の塩分より薄く人間の体液とほぼ同じだ。


 2010年、南太平洋で酒を飲んで酔っ払った少年たち3人が故障したモーターボートに乗って漂流し、61日漂流したという事があった。救助されたとき、やや痩せていたけれど元気いっぱいだった。水は持っていなかったが、雨水と海水で渇きを補い、魚を獲って食べ、時にはカモメを獲って食べたこともあったと言う。2か月耐えられたら1年だって耐えられるだろう。2013年にも南米で遭難した男性が一年以上も漂流して南太平洋の島まで流れ着いたと言う事もあった。


 さらに遠い1万km以上のアジアからアメリカ大陸に渡ったのではないかとされるインデアンやインディオがいる。
彼らはモンゴロイドの血を引いている。蒙古斑も有る。通説では氷河時代にアラスカとシベリアが陸続きだった頃にベーリング海峡を渡ったのではないかとされている。氷河時代にはベーリング海峡は浅いのでシベリアとアラスカは地続きだった。


 しかし、北アメリカ大陸に1万4千年以前の人類の痕跡はない。ベーリング海峡付近の島にも人が住んでいた形跡がない。人が住んでいれば温暖化で陸地が失われても周辺の島に必ず人がいた痕跡が残るはずである。


 遺伝子を比較したところ同じ遺伝子系列でも、シベリアに住んでいる人と遺伝的に遠いから、ベーリング海峡にあった陸地(ベリンジア)で一万年くらい過ごした後にアメリカ大陸に渡ったのではないかなどと言われている。私はシベリアとアラスカで遺伝的に遠いのはアメリンドはシベリア経由で渡ったのではないからだと思う。氷河時代にベーリング陸峡を渡ったと言うのは嘘だ。


 温暖化して海進が始まって来れば北へ行く人も現れ、その頃にまだベーリング陸峡が残っていたら、其処を歩いた人間も居たかも知れない。ベーリング海峡は水深が50m位と浅いので陸峡は比較的後まで残っていた可能性がある。


 1万4千年前なら歩いて渡れた可能性もあり、しかも温暖化の途中で動物も植物も北上している時代で、人間も自然の摂理に即してシベリアからアラスカに渡ったとしても不思議はない。そのさい、比較的寒い地域に慣れた人が再び南下して南米まで移動するかという問題がある。寒冷化に適応した人間が温暖化の最中に南下したと言うのは自然の摂理に反するのだ。


舟で移動
 私は船で直に太平洋を渡って南米に渡ったと考える。
考古学的にも南米の方に古い遺跡がある。
4万年前のブラジルから人骨が発見され、それはアボリジニの物とよく似ているとブラジルの考古学者が発表している。4万年前に北米大陸に何の痕跡も残さず陸路を渡ってブラジル迄来たなどとは考えられないだろう。舟で来たのだ。


 近頃南米人にオーストラリア先住民のアボリジニの遺伝子が多く含まれている事が明らかになって来た。アボリジニの遺伝子は北へ行くほど少なくなっている。縄文人にも日本人にもアボリジニの遺伝子がある。サフルランドから船を使って、一方では南米に、もう一方は日本に来たと考えるべきだろう。ニューギニア島からは赤道の上を海流が南米に向かって流れている。その少し北へ行けば赤道海流が北へ、日本列島に向かって黒潮が流れているのだ。


シベリア廻りでアラスカに渡り、北米大陸を南下して南米に辿りついたと言うのは、人間が海を越える事は無いと言う固定観念に囚われてしまっているからなのだろう。