異端の古代史のブログ

古代史の定説を切る

旧石器時代 北方から来た?

前項で旧石器人が南から来たらしい事を述べたが少し掘り下げて考えよう。


日本では石器は出土しているが人骨の出土は少なく、DNAも未だ解析されていないので、いつどこからやって来たのかよく解らないと日本の学者たちはいう。
日本の学者たちの多くが何となく北方にノスタルジーを感じているらしい。
浜北原人と言われる人骨は分析の結果、1万5千年以上前のものとされ、やはり旧石器時代から人が生活していた。沖縄の港川人にも1万8千年前と言う年代が与えられている。これも旧石器時代と考えられている。氷河時代でも黒潮が日本近郊を流れており日本は氷河時代でも大陸に比べて比較的暖かく人が住みやすかったようである。中国東北部や朝鮮半島に比べて三万5千年前以後の遺跡の数が遥かに多い。


通説では陸橋となっていたサハリンと北海道を介して大陸から日本に来た人が旧石器人だと考えられている。
北海道からマンモスの骨が出ていることから、マンモスを追って南下して来たマンモスハンターだったとされる。


しかし、小田静夫氏は『黒潮考古学』の中で旧石器人も南方から来た事を示唆している。日本では旧石器時代の人骨が殆ど出ていず、状態も悪いので遺伝子解析が行われていない。琉球列島の2~3万年前の人骨からは中国南部の先住民とmtDNAは良く似ていた。


旧石器時代には日本からナウマン象の骨が出土している。ナウマン象は南の動物であり、樺太や北海道を経由して南下する事は無いのである。


以前は朝鮮半島と日本列島が地続きであったと考えられていたが、今は地続きで無かったと言う考えが優勢である。しかし、ナウマン象が来たことを考えるとやはり地続きであった事があるのではないか。象は長距離でなければ泳げるから、完全に陸続きでなくても朝鮮海峡が狭くなっていた時代なら泳いで渡った可能性も否定はできない。マンモスは樺太から来た。ナウマン象は朝鮮半島から来た。氷河時代の海面の低下が100m程度とすると水深が120mほどある対馬海峡は未だ海の底である。しかし海面の低下はもっと大きかったのではないか。ある程度浅いと海流で運ばれた砂が堆積して砂の道を作る事がある。


学者の中には大陸と列島が繋がっていた頃、北方から来た旧石器人がそのまま縄文人になったと主張する者もいる。
しかし、遺伝子からみてそのような事はありえない話である。バイカル湖付近にいたマリタ人のY-DNAはむしろヨーロッパ人に近い。マリタ人が日本に来てた可能性は少ない。
近年マリタ人の分岐年代は縄文人より遅い事も判ってきている。
そしてマリタ人の全ゲノムの分析では南米人からの流入も考えられるという。


細石刃石器
現在、縄文人が北方から来たと言う説が優勢なのは、旧石器時代の終わりごろ、一時的に流行した細石刃石器が、日本列島の北にある沿海州に存在しているからである。そして、その細石刃石器は沿海州の西側にあるバイカル湖周辺の2万3千年前のマリタ遺跡からも沢山見つかっている。ストーリーとしてはマリタ遺跡から沿海州へ移り、沿海州から日本へ渡ってきたと言うのだ。


 しかし、マリタ遺跡では細石刃石器は動物の骨に埋め込まれ、こん棒や槍の刃となって大型動物を狩る道具であった事が判っている。対するに日本に細石刃石器があらわれた時はすでに狩りの対象になる大型生物は絶滅していた。温暖化が影響していたのであろう。細石刃がこん棒や槍の歯先に使われた様子もない。氷河期が終わって温暖化に向かえば動植物は北へ向かう。これは自然の摂理であってそれに逆らう事は有りえない。するとその動物を狩って食料としていた人間だって北へ行くに決まっている。ところが縄文人北方渡来説ではこの自然の摂理に反してきたことになる。
何より、日本の旧石器時代は3万8千年前に始まっており、マリタより遥かに早い。
北海道ですら2万5千年前で、マリタの2万3千年前より早い。マリタの年代もマリタ人が縄文人より遅く分岐したという遺伝学の研究からして怪しい事になる。


 細石刃石器はマリタにしかないのであろうか?いや、2万3千年前のマリタより早い4万年前の南アジアに細石刃石器があったのである。南方では細石刃石器はマリタなどと違い、狩った動物の皮を切ったり、肉を切ったりするのに使われていた。インドネシアでもフローレス島で見つかった小人(フローレス人「7~1万年前」)が二万年前に細石刃を使っていた。狩りの為ではなく肉を切る為、日本の縄文時代の使われ方と同じなのである。沿海州の細石刃石器だって南方から来た可能性が十分にある。縄文時代と言えば温暖化で氷河が溶けだし海進で陸地が後退した時である。人も動物も北へ向かっている時のはずだった。(オーストラリアで5万年前の部分磨製石器が見つかっている。日本で見つかった部分磨製石器は3万5千年前で、これまではオーストラリアと日本の物は同時代と考えられて来た。それがオーストラリアで1万5千年も遡ったのだから、日本の物はサフルランドから来たと言う話に蓋然性が出て来る。)


最新の遺伝子研究によってマリタ人の分岐は日本の縄文人の分岐より遅い事が判った。
縄文人は15千年前の分岐と思われ、それより遅いのだから、日本の細石刃文化のルーツではありえない。


Karitianaは南米先住民。Mal'ta MA1がバイカル湖の人骨 数字は確率だから前後する事もある。


南米人の遺伝子がマリタ人や北欧人等に21%も注入されていると言う事はどういう事か?
南米人と北欧人がある時期同じ場所で生活していたことがあると言う事を示すのだろう。
そして南米人は縄文人から分岐した事にもなっている。


 沿海州には日本でしか産しない黒曜石の石器も存在する。沿海州には日本から行ったと考える事が出来る。


念の為、私がインターネットで検索したら、沿海州には旧石器時代にロクな遺跡は無く、新石器時代が始まるのは日本より遅く、7千年前頃と言う結果が得られた。


 ずっと後代だが、沿海州に渤海と言う国が有って、日本と交流する場合海流を使って航行していた。日本に来るにはリマン海流と言う沿海州から朝鮮半島を経由して南下し、対馬海流に乗り換えて近畿にやって来た。帰りは日本海沿岸に沿って北上して北海道を経由して沿海州に戻ると言うコースを採ったのである。逆のコースは海流に逆らう事になるので困難なのだ。太古の人々も同じコースを通ったとすれば、沿海州にある物は日本から行ったと考えた方が良い。
黒曜石が沿海州から出てくるのはその証拠になろう。


 マリタ遺跡出土の人骨の遺伝子が分析され、東アジア人とは全く繋がりが無い事が判った。実はY-DNAは R なのでヨーロッパ人に近く、mtDNAは南アジア人に近いと言うのである。『そう言えば南アジア(インド)では4万年前に細石刃を使っていた事が判っている。南アジア人が来ていた可能性が高そうだ。』


マリタから東進して沿海州へ、沿海州から樺太、北海道へと細石石刃のルートを考えていた北方起源論の学者には意外な結果だったであろう。マリタ遺跡のゲノムでは7千年前のスペイン古人骨と似ていて、黒い肌をしていたと考えられる。少なくとも、マリタ人は東アジア人とは血縁関係が無いのだから、細石刃が北方から来て、人も北方から来た根拠にはならない。日本列島の細石刃が絶対南方から来たとも言えないが、細石刃が北方由来だとしても、縄文人が舟を操って大陸まで出かけて細石刃の手法を手に入れて使ったと考える事も出来、縄文人が北方から来たのでは無いと言える根拠にはなる。


 2万4千年まえのマリタ人と他の東アジア人とかなり離れた位置にある。遺伝的にはマリタ人の遺伝子はアジアには残されておらず、マリタ人は欧州人の遺伝子に近い。マリタ人はアジアには遺伝子を残さず、滅んだか、欧州へ行ったかのどちらかであろう。7千年前まではヨーロッパでも黒い人が棲んでいた。 白人が生まれたのは一万年前以降の事だ。新モンゴロイドと言うアジアの白人が生まれたのも一万年前以降だ。そう言う事を理解して歴史像を組み立てなければならない。マリタ人も出土したマンモスの牙で出来た女神像は顔や体が黒く塗られ、色の黒い人であった事が推測される。


 中国南部では、6千年前に古モンゴロイド風浅黒い人が暮らしていた事が人骨から復元された顔で判っている。周王朝(3千年前)の頃に新モンゴロイドの南下が始まったのか、それより少し前か?
ベトナム北部に3500年前の新モンゴロイドと古モンゴロイドの混合遺跡があるから、その頃であろう。


 近頃、日本で遺伝子や細石石器を理由に縄文人は北から来たという学者が増えている。
彼らは本当に考古を調べたのであろうか。沿海州に細石刃があるのかどうかネットで調べた。数万年前から続く遺跡があると言う紹介はあるが、どのような旧石器があるのか定かでない。出土しているのは人骨ではなく、動物の骨や植物ばかりのような記述である。1万3千年前位からは人の痕跡があるようであるが、新石器時代の開始が7~8千年前と言う事で、日本より大分遅れている。樺太の文化も日本より遅く、黒曜石が出ている事など、日本の縄文文化が伝搬したものである事が判っている。日本には確かな所で35千年前の旧石器遺跡も有り、東北でも1万年前には縄文時代に入っている。沿海州から縄文人が来たなんてバカな話が成り立つ訳が無い。
日本の学者はなんでも北から来たと脳に刷り込まれているに違いない。
客観的に物事を観察すれば



最近の日本では新しい研究ほど狂っている事が多い。旧石器捏造事件のように文科省の誘導があるのではないか。


http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/miyagi3.htm


 旧石器捏造も縄文時代北方由来も、邪馬台国畿内説も、日本の万世一系論をでっちあげるための策謀のように思える。「日本は前期旧石器時代から、現代まで世界中のどの国よりも長大な歴史を一系の人種で繋いで来たのだ。」と言う歴史をでっちあげる為には、前期旧石器も存在しなければならないし、縄文人も旧石器時代から日本にいなければならない。弥生時代も縄文人が大陸の文明を取り入れたのだ。邪馬台国も万世一系の為には奈良県になければならない。記紀に書いてある前660年に神武天皇が奈良県で即位したと言う事を事実とする為には即位したのが縄文時代では如何にも都合が悪いから、弥生時代は紀元前10世紀に始まっていなければならない。等々次々に捏造された歴史を生み出そうとしている。


中期旧石器


 まだ、旧石器捏造事件の後遺症で35千年前以前の旧石器時代についても、石器発見の情報は散見するけれど、本格的研究には未着手である。


日本で人類が産まれたわけではないので、どこからが来たには違いなないのだが、東アジアには古くても7~8万年前で、しかも、その数も非常に少ない。来るとすれば朝鮮半島を介して来たと一般には考えられているので、中国東北部より日本に早く文化が誕生していたというのは荒唐無稽と思われているからで有る。


しかし、近年、フィリピンで13万年前の旧石器遺跡が発見された。
フィリピンで中期旧石器時代が始っていたのなら、13万年前にフィリピンから黒潮に乗ってやってきた人がいても不思議はない。


大陸より、日本が先進地帯だった可能性が高いフィリピンの前にはサフールランドがある
ネアンデルタール人、デニソワ人の遺伝子を一番沢山持っているのが日本人だそうで、50%がTLR6-TLR1-TLR10と言う遺伝子を持っている。中でもTLR6-TLR1はネアンデルタール人由来でTLR10がデニソワ人由来。デニソワ人の遺伝子がサフル人やネグリト、アボリジニに多い事を考えると、縄文人が南方から来た事には間違いが無いだろう。


最近、縄文人人骨解析で、デニソワ人の遺伝子が入っていた事も判って来た。


ネアンデルタール人の人骨は中東欧州で多く発掘されているが、遺伝子上に残っているのはむしろアジア人に多いのだ。