異端の古代史のブログ

古代史の定説を切る

旧石器時代 北方から来た?

前項で旧石器人が南から来たらしい事を述べたが少し掘り下げて考えよう。


日本では石器は出土しているが人骨の出土は少なく、DNAも未だ解析されていないので、いつどこからやって来たのかよく解らないと日本の学者たちはいう。
日本の学者たちの多くが何となく北方にノスタルジーを感じているらしい。
浜北原人と言われる人骨は分析の結果、1万5千年以上前のものとされ、やはり旧石器時代から人が生活していた。沖縄の港川人にも1万8千年前と言う年代が与えられている。これも旧石器時代と考えられている。氷河時代でも黒潮が日本近郊を流れており日本は氷河時代でも大陸に比べて比較的暖かく人が住みやすかったようである。中国東北部や朝鮮半島に比べて三万5千年前以後の遺跡の数が遥かに多い。


通説では陸橋となっていたサハリンと北海道を介して大陸から日本に来た人が旧石器人だと考えられている。
北海道からマンモスの骨が出ていることから、マンモスを追って南下して来たマンモスハンターだったとされる。


しかし、小田静夫氏は『黒潮考古学』の中で旧石器人も南方から来た事を示唆している。日本では旧石器時代の人骨が殆ど出ていず、状態も悪いので遺伝子解析が行われていない。琉球列島の2~3万年前の人骨からは中国南部の先住民とmtDNAは良く似ていた。


旧石器時代には日本からナウマン象の骨が出土している。ナウマン象は南の動物であり、樺太や北海道を経由して南下する事は無いのである。


以前は朝鮮半島と日本列島が地続きであったと考えられていたが、今は地続きで無かったと言う考えが優勢である。しかし、ナウマン象が来たことを考えるとやはり地続きであった事があるのではないか。象は長距離でなければ泳げるから、完全に陸続きでなくても朝鮮海峡が狭くなっていた時代なら泳いで渡った可能性も否定はできない。マンモスは樺太から来た。ナウマン象は朝鮮半島から来た。氷河時代の海面の低下が100m程度とすると水深が120mほどある対馬海峡は未だ海の底である。しかし海面の低下はもっと大きかったのではないか。ある程度浅いと海流で運ばれた砂が堆積して砂の道を作る事がある。


学者の中には大陸と列島が繋がっていた頃、北方から来た旧石器人がそのまま縄文人になったと主張する者もいる。
しかし、遺伝子からみてそのような事はありえない話である。バイカル湖付近にいたマリタ人のY-DNAはむしろヨーロッパ人に近い。マリタ人が日本に来てた可能性は少ない。
近年マリタ人の分岐年代は縄文人より遅い事も判ってきている。
そしてマリタ人の全ゲノムの分析では南米人からの流入も考えられるという。


細石刃石器
現在、縄文人が北方から来たと言う説が優勢なのは、旧石器時代の終わりごろ、一時的に流行した細石刃石器が、日本列島の北にある沿海州に存在しているからである。そして、その細石刃石器は沿海州の西側にあるバイカル湖周辺の2万3千年前のマリタ遺跡からも沢山見つかっている。ストーリーとしてはマリタ遺跡から沿海州へ移り、沿海州から日本へ渡ってきたと言うのだ。


 しかし、マリタ遺跡では細石刃石器は動物の骨に埋め込まれ、こん棒や槍の刃となって大型動物を狩る道具であった事が判っている。対するに日本に細石刃石器があらわれた時はすでに狩りの対象になる大型生物は絶滅していた。温暖化が影響していたのであろう。細石刃がこん棒や槍の歯先に使われた様子もない。氷河期が終わって温暖化に向かえば動植物は北へ向かう。これは自然の摂理であってそれに逆らう事は有りえない。するとその動物を狩って食料としていた人間だって北へ行くに決まっている。ところが縄文人北方渡来説ではこの自然の摂理に反してきたことになる。
何より、日本の旧石器時代は3万8千年前に始まっており、マリタより遥かに早い。
北海道ですら2万5千年前で、マリタの2万3千年前より早い。マリタの年代もマリタ人が縄文人より遅く分岐したという遺伝学の研究からして怪しい事になる。


 細石刃石器はマリタにしかないのであろうか?いや、2万3千年前のマリタより早い4万年前の南アジアに細石刃石器があったのである。南方では細石刃石器はマリタなどと違い、狩った動物の皮を切ったり、肉を切ったりするのに使われていた。インドネシアでもフローレス島で見つかった小人(フローレス人「7~1万年前」)が二万年前に細石刃を使っていた。狩りの為ではなく肉を切る為、日本の縄文時代の使われ方と同じなのである。沿海州の細石刃石器だって南方から来た可能性が十分にある。縄文時代と言えば温暖化で氷河が溶けだし海進で陸地が後退した時である。人も動物も北へ向かっている時のはずだった。(オーストラリアで5万年前の部分磨製石器が見つかっている。日本で見つかった部分磨製石器は3万5千年前で、これまではオーストラリアと日本の物は同時代と考えられて来た。それがオーストラリアで1万5千年も遡ったのだから、日本の物はサフルランドから来たと言う話に蓋然性が出て来る。)


最新の遺伝子研究によってマリタ人の分岐は日本の縄文人の分岐より遅い事が判った。
縄文人は15千年前の分岐と思われ、それより遅いのだから、日本の細石刃文化のルーツではありえない。


Karitianaは南米先住民。Mal'ta MA1がバイカル湖の人骨 数字は確率だから前後する事もある。


南米人の遺伝子がマリタ人や北欧人等に21%も注入されていると言う事はどういう事か?
南米人と北欧人がある時期同じ場所で生活していたことがあると言う事を示すのだろう。
そして南米人は縄文人から分岐した事にもなっている。


 沿海州には日本でしか産しない黒曜石の石器も存在する。沿海州には日本から行ったと考える事が出来る。


念の為、私がインターネットで検索したら、沿海州には旧石器時代にロクな遺跡は無く、新石器時代が始まるのは日本より遅く、7千年前頃と言う結果が得られた。


 ずっと後代だが、沿海州に渤海と言う国が有って、日本と交流する場合海流を使って航行していた。日本に来るにはリマン海流と言う沿海州から朝鮮半島を経由して南下し、対馬海流に乗り換えて近畿にやって来た。帰りは日本海沿岸に沿って北上して北海道を経由して沿海州に戻ると言うコースを採ったのである。逆のコースは海流に逆らう事になるので困難なのだ。太古の人々も同じコースを通ったとすれば、沿海州にある物は日本から行ったと考えた方が良い。
黒曜石が沿海州から出てくるのはその証拠になろう。


 マリタ遺跡出土の人骨の遺伝子が分析され、東アジア人とは全く繋がりが無い事が判った。実はY-DNAは R なのでヨーロッパ人に近く、mtDNAは南アジア人に近いと言うのである。『そう言えば南アジア(インド)では4万年前に細石刃を使っていた事が判っている。南アジア人が来ていた可能性が高そうだ。』


マリタから東進して沿海州へ、沿海州から樺太、北海道へと細石石刃のルートを考えていた北方起源論の学者には意外な結果だったであろう。マリタ遺跡のゲノムでは7千年前のスペイン古人骨と似ていて、黒い肌をしていたと考えられる。少なくとも、マリタ人は東アジア人とは血縁関係が無いのだから、細石刃が北方から来て、人も北方から来た根拠にはならない。日本列島の細石刃が絶対南方から来たとも言えないが、細石刃が北方由来だとしても、縄文人が舟を操って大陸まで出かけて細石刃の手法を手に入れて使ったと考える事も出来、縄文人が北方から来たのでは無いと言える根拠にはなる。


 2万4千年まえのマリタ人と他の東アジア人とかなり離れた位置にある。遺伝的にはマリタ人の遺伝子はアジアには残されておらず、マリタ人は欧州人の遺伝子に近い。マリタ人はアジアには遺伝子を残さず、滅んだか、欧州へ行ったかのどちらかであろう。7千年前まではヨーロッパでも黒い人が棲んでいた。 白人が生まれたのは一万年前以降の事だ。新モンゴロイドと言うアジアの白人が生まれたのも一万年前以降だ。そう言う事を理解して歴史像を組み立てなければならない。マリタ人も出土したマンモスの牙で出来た女神像は顔や体が黒く塗られ、色の黒い人であった事が推測される。


 中国南部では、6千年前に古モンゴロイド風浅黒い人が暮らしていた事が人骨から復元された顔で判っている。周王朝(3千年前)の頃に新モンゴロイドの南下が始まったのか、それより少し前か?
ベトナム北部に3500年前の新モンゴロイドと古モンゴロイドの混合遺跡があるから、その頃であろう。


 近頃、日本で遺伝子や細石石器を理由に縄文人は北から来たという学者が増えている。
彼らは本当に考古を調べたのであろうか。沿海州に細石刃があるのかどうかネットで調べた。数万年前から続く遺跡があると言う紹介はあるが、どのような旧石器があるのか定かでない。出土しているのは人骨ではなく、動物の骨や植物ばかりのような記述である。1万3千年前位からは人の痕跡があるようであるが、新石器時代の開始が7~8千年前と言う事で、日本より大分遅れている。樺太の文化も日本より遅く、黒曜石が出ている事など、日本の縄文文化が伝搬したものである事が判っている。日本には確かな所で35千年前の旧石器遺跡も有り、東北でも1万年前には縄文時代に入っている。沿海州から縄文人が来たなんてバカな話が成り立つ訳が無い。
日本の学者はなんでも北から来たと脳に刷り込まれているに違いない。
客観的に物事を観察すれば



最近の日本では新しい研究ほど狂っている事が多い。旧石器捏造事件のように文科省の誘導があるのではないか。


http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/miyagi3.htm


 旧石器捏造も縄文時代北方由来も、邪馬台国畿内説も、日本の万世一系論をでっちあげるための策謀のように思える。「日本は前期旧石器時代から、現代まで世界中のどの国よりも長大な歴史を一系の人種で繋いで来たのだ。」と言う歴史をでっちあげる為には、前期旧石器も存在しなければならないし、縄文人も旧石器時代から日本にいなければならない。弥生時代も縄文人が大陸の文明を取り入れたのだ。邪馬台国も万世一系の為には奈良県になければならない。記紀に書いてある前660年に神武天皇が奈良県で即位したと言う事を事実とする為には即位したのが縄文時代では如何にも都合が悪いから、弥生時代は紀元前10世紀に始まっていなければならない。等々次々に捏造された歴史を生み出そうとしている。


中期旧石器


 まだ、旧石器捏造事件の後遺症で35千年前以前の旧石器時代についても、石器発見の情報は散見するけれど、本格的研究には未着手である。


日本で人類が産まれたわけではないので、どこからが来たには違いなないのだが、東アジアには古くても7~8万年前で、しかも、その数も非常に少ない。来るとすれば朝鮮半島を介して来たと一般には考えられているので、中国東北部より日本に早く文化が誕生していたというのは荒唐無稽と思われているからで有る。


しかし、近年、フィリピンで13万年前の旧石器遺跡が発見された。
フィリピンで中期旧石器時代が始っていたのなら、13万年前にフィリピンから黒潮に乗ってやってきた人がいても不思議はない。


大陸より、日本が先進地帯だった可能性が高いフィリピンの前にはサフールランドがある
ネアンデルタール人、デニソワ人の遺伝子を一番沢山持っているのが日本人だそうで、50%がTLR6-TLR1-TLR10と言う遺伝子を持っている。中でもTLR6-TLR1はネアンデルタール人由来でTLR10がデニソワ人由来。デニソワ人の遺伝子がサフル人やネグリト、アボリジニに多い事を考えると、縄文人が南方から来た事には間違いが無いだろう。


最近、縄文人人骨解析で、デニソワ人の遺伝子が入っていた事も判って来た。


ネアンデルタール人の人骨は中東欧州で多く発掘されているが、遺伝子上に残っているのはむしろアジア人に多いのだ。

トバ山の噴火とウィルス

7万4千年前人類はトバ山の噴火により絶滅の危機にひんした


それは他の動物においても同じだったであろうが、インドネシアのトバ山が大噴火をし、吹き上げられた火山灰によって太陽の光が遮られ、地球は寒冷化した。一気に5度くらい低温になったとされる。
赤道直下のボルネオ島の4千mの山にも氷河があった痕跡がある。今では氷河は無いが当時は赤道直下でマイナス5℃。一方グリーンランドの氷河の氷を分析した結果グリーンランドではマイナス15℃になっていたと推測される。最寒期の2万年前の話だ。
中緯度の日本列島あたりではマイナス10℃くらいであったと推測される。
シベリアあたりではマイナス12~3度。温暖期の今でさえ人が棲むのに適しているとはいい難い土地に人が棲んでいたと考えているのが現代の学者たちである。
私は間違っていると思う。


ウィキペディアより。
大気中に巻き上げられた大量の火山灰が日光を遮断し、地球の気温は平均5℃も低下したという。劇的な寒冷化はおよそ6000年間続いたとされる。その後も気候は断続的に寒冷化するようになり、地球はヴュルム氷期へと突入する。
この時期まで生存していたホモ属の傍系の種(ホモ・エルガステル、ホモ・エレクトゥスなど)は絶滅した。トバ事変の後まで生き残ったホモ属はネアンデルタール人と現世人類のみである(ネアンデルタール人と姉妹関係にあたる系統であるデニソワ人がアジアでは生き残っていたことが、近年確認されている)[3]。現世人類も、トバ事変の気候変動によって総人口が1万人までに激減したという。


いくつかの地質学的証拠から、トバ・カタストロフ理論は支持されている。


トバ火山噴火による火山灰は東南アジア・南アジアを中心に厚く降り積もった。ベンガル湾を越えたインド・パキスタンでは、トバ火山由来のものとされる約7万年前の火山灰が2mもの層厚で堆積している[2]。グリーンランドの氷床コアの酸素同位体比からはこの時期の急激な気候の寒冷化が推定されている[4]。


かろうじて生き残った現世人類も人口減少によってボトルネック効果が生じ、その遺伝的多様性は失われた。現在、人類の総人口は70億人にも達するが、遺伝学的に見て、現世人類の個体数のわりに遺伝的特徴が均質であるのはトバ事変のボトルネック効果による影響であるという。遺伝子の解析によれば、現世人類は極めて少ない人口(1000組-1万組ほどの夫婦)から進化したことが想定されている。遺伝子変化の平均速度から推定された人口の極小時期はトバ事変の時期と一致する。


氷河時代にあらゆる生物が生き残っていたとするならそこは赤道周辺であっただろう。
ただ7万4千年前に始まった氷河期もずっと寒かったわけではなく間氷期もあったと思われる。4万年前頃にあちこちに人類の痕跡が現れる。シベリアにも日本列島にも欧州にもブラジルにも。この時は間氷期だったのだろう。
しかしまた1万8千年前~2万年前になると氷河時代の最寒期が来る。本当の人類の滅亡の危機はこの時ではなかったか。


アフリカの霊長類のウィルス感染


【アメリカ・メリーランド州のアメリカ癌研究所の研究チームのG・J・トデイロー、C・J・シャー、R・E・ベンヴェニステの3人によりまとめられた論文で、後に「ネイチャー」誌にも同内容の論文が発表された。論文の概要は、霊長類のヒヒは内在性C型ウィルスのDNAを遺伝子中に持っている。このウイルスに感染するとウイルスのRNAがその動物の細胞内でDNAに組み込まれて親から子へ伝えられていくが、ヒヒの場合はすでに発病しなくなっている。このウイルスが猛威を振るった時期には、他の霊長類に感染して発病したと考えられるが、今は感染力がなくなっている。調査結果によると、現在アフリカに住む全てのサルと類人猿からこのウイルスに対する抗体が発見されたが、アフリカ以外(南アメリ
カやアジア)を原産とする霊長類はこの抗体を持っていないことがわかった。ここで特異な点は、ホモ・サピエンスだけは、アフリカの原住民も含めて、この抗体を持っていなかったことである。そうすると、
ホモ・サピエンスはアフリカ以外の地で進化し、このウイルスの脅威がなくなってからアフリカ大陸へ進出したという結論が導き出される。


(その後、このウィルスに感染していないヒヒがアフリカ南部に住んでいる事が判った。アフリカの一部に空白地地帯があったのである。とはいっても、その狭い地帯に住んでいた人類が拡散したと言う事に整合性があるのだろうか?)


これで言える事は人類がアフリカでチンパンジーなどの類人猿から分岐したと言うのは全くの間違いであると言う事。
この研究チームは人類の発祥がアフリカでない事は突きとめたが、その発祥地がアジアであるとは言っていない。

アフリカ近くに島があってその島で人類が発祥した。その島がウイルスの脅威が無くなった頃にアフリカと衝突してアフリカ大陸に吸収されたのではないかと言っている。その島があふるかと衝突した痕跡は皆無なのだが。


 G・J・トデイロー、C・J・シャー、R・E・ベンヴェニステの3人の論文の、全世界で人口が一万人ほどに減ってしまったと言う事が、アフリカの人類がアフリカの全霊長類が感染したウィルスに感染していない事と関連があるのではないか? アフリカでは出土した類人猿、原人の数から見て、何度も類人猿の絶滅に近い状態が起こったとされる。7万4千年前だけではなく、以前から幾度も繰り返された氷河時代が、アフリカに住んでいた人類を絶滅させ、新しくアジア方面から渡った原人やホモ・サピエンスがアフリカで繁殖したのではないか?
確かに遺伝子的に古いと考えられる性染色のY-A、Y-B、ミトコンドリアmt‐Lも存在している、が、Y-A、Y-B、mt‐Lの持ち主と繋がる原人の遺骨も見つかっていない。たくさん見つかっている原人の遺骨とピグミーやブッシュマンの間を繋ぐ骨は無いのである。
ピグミーやブッシュマンの祖先は20万年前にどこからかアフリカに来て、アフリカで孤立していたのではないか?その時はウィルスが感染力を失って垂直感染によって現生アフリカ霊長類に伝わっている。
このウィルスの痕跡がアジアにも南米にもないのである。


 トバ山の噴火は赤道付近に吹く東風によってインドやアフリカまで飛んで、大きな影響を与えた。
アフリカでも赤道付近の遺跡が7万年前から激減して、5万年前辺りからようやく遺跡が増え出すという現象も見られるようだ。人類の遺伝子の多様性が少ない事がトバ山の爆発による気象変動によるものならば、それ以前に前地球に拡散していた人類の遺伝子の多くは絶滅したのであろう。アフリカにおけるY-DNA、mtDNAの多様性も非常に少ない。一見、多様に見える物は少なくとも5万年前以降に逆流した人が大勢いる事による。古くからいるのはピグミーとかブッシュマンとか言われる人であり、マサイ族などは後世に逆流した人々であると考えられている。


太古の年代を推定する方法として、炭素年代法と言うのがある。これまで1万年前以前の炭素年代は較正出来なかったが、日本の三方五湖の一つ水月湖には年縞と言って沈殿物が一年ごとに縞模様を作っていて、沈殿物の残留炭素のC14濃度を測定する事により、1万年以上前でも較正出来る事が期待された。ところが、水月湖の年縞を取りだすと、7万年以上前の部分が幅広く、年縞が無い事が判った。氷河時代では気候変動が無くて縞模様が出来なかったのだろう等と推測するコメントがあったけれど、バカバカしい話である。氷河時代の最盛期はトバ山噴火の後から来たので、それ以前の年代とは関係ない。私は水月湖の7万年前以前の年このない部分はトバ山の火山灰の降り積もったものではないか、と考える。つまり、インドネシアの島で起こった大爆発は日本列島まで大量の火山灰を降らせていたのかもしれない。当然、日本列島でも居たかも知れない原人の痕跡は見つかりにくい状態にある。


  アフリカでは人類が絶滅して、その後に新しく人間が入ったのなら、ミトコンドリア・イブはアフリカには居なかった事になる。アメリカ癌研究所の研究チームのアフリカの霊長類が感染したウィルスにアフリカ人が感染していないことから、一時アフリカには人がいなかったという研究と調和的である。


 中国南部からは10万年前のホモサピエンスの人骨も出ている。アフリカ一辺倒は考え直されるべきである。

旧石器時代

日本の旧石器人は 北方から来た?


 さていよいよ日本人は何処から来たのか考えて行こう。
日本では石器は出土しているが人骨の出土は少なく、DNAも未だ解析されていないので、いつどこからやって来たのかよく解かっていなかった。
今の日本では北から来たという説が優勢である。


浜北原人と言われる人骨は分析の結果、1万5千年以上前のものとされ、やはり旧石器時代から人が生活していたことは間違いないだろう。沖縄の港川人にも1万8千年前と言う年代が与えられている。これも旧石器時代と考えられている。氷河時代でも黒潮が日本近郊を流れており日本は氷河時代でも大陸に比べて比較的暖かく人が住みやすかったようである。中国東北部や朝鮮半島に比べて三万5千年前以後の遺跡の数が遥かに多い。


通説では陸橋となっていたサハリンと北海道を介して大陸から日本に来た人が旧石器人だと考えられている。北海道からマンモスの骨が出ていることから、マンモスを追って南下して来たマンモスハンターだったとされる。


しかし、小田静夫氏は『黒潮考古学』の中で旧石器人も南方から来た事を示唆している。日本では旧石器時代の人骨が殆ど出ていず、状態も悪いので遺伝子解析が行われていない。琉球列島の2~3万年前の人骨の中国南部の先住民とmtDNAは良く似ていた。


旧石器時代には日本からナウマン象の骨が出土している。ナウマン象は南の動物であり、樺太や北海道を経由して南下する事は無いのである。
ナウマン象が来たことを考えるとやはり地続きであった事があるのではないか。象は長距離でなければ泳げるから、完全に陸続きでなくても朝鮮海峡が狭くなっていた時代なら泳いで渡った可能性も否定はできない。
陸地が地震で沈むこともあれば隆起する事もあるから現代の地形だけで結論は出せない。
河時代の海面の低下が100m程度とすると水深が120mほどある対馬海峡は未だ海の底である。しかし海面の低下はもっと大きかったのではないか。ある程度浅いと海流で運ばれ
た砂が堆積して砂の道を作る事がある。
博多湾の志賀島は離れ小島だったのが砂州で繋がり今は半島のようになっている。
唐津湾の虹の松原もかっては海の中。松浦川が分断していた。(かって松浦川は徳須惠川と言う川と並行して流れていたがある時、佐賀藩の藩主が二つの川を一緒にすれば耕地面積が増えると考え、土木工事を行った。松浦川の方が大きいから徳須恵川は松浦川に吸収されると考えたのだろう。上流部はそうなったが、下流部は逆に徳須恵川に吸収され蛇行して唐津城下まで流れる事になった。そうして旧松浦川河口は砂に埋もれ虹の松原が出来来た。


学者の中には大陸と列島が繋がっていた頃、北方から来た旧石器人がそのまま縄文人になったと主張する者もいる。


しかし、遺伝子からみてそのような事はありえない話である。バイカル湖付近にいたマリタ人の遺伝子はむしろヨーロッパ人に近い。マリタ人が日本に来てた可能性はないのである。


ネアンデルタール人、デニソワ人の遺伝子を一番沢山持っているのが日本人だそうで、50%がTLR6-TLR1-TLR10と言う遺伝子を持っている。中でもTLR6-TLR1はネアンデルタール人由来でTLR10がデニソワ人由来。デニソワ人の遺伝子がサフル人やネグリト、アボリジニに多い事を考えると、縄文人が南方から来た事には間違いが無いだろう。


最近、縄文人人骨解析で、デニソワ人の遺伝子が入っていた事も判って来た。日本人のデニソワ人遺伝子は縄文人から齎されたと推測できる。
ネアンデルタール人の人骨は中東欧州で多く発掘されているが、遺伝子上に残っているのはむしろアジア人に多いのだ。


細石刃石器
現在、縄文人が北方から来たと言う説が優勢なのは、旧石器時代の終わりごろ、一時的に流行した細石刃石器が、日本列島の北にある沿海州に存在しているからである。そして、その細石刃石器は沿海州の西側にあるバイカル湖周辺の2万3千年前のマリタ遺跡からも沢山見つかっている。ストーリーとしてはマリタ遺跡から沿海州へ移り、沿海州から日本へ渡ってきたと言うのだ。


 しかし、マリタ遺跡では細石刃石器は動物の骨に埋め込まれ、こん棒や槍の刃となって大型動物を狩る道具であった事が判っている。対するに日本に細石刃石器があらわれた時はすでに狩りの対象になる大型生物は絶滅していた。温暖化が影響していたのであろう。細石刃がこん棒や槍の歯先に使われた様子もない。氷河期が終わって温暖化に向かえば動植物は北へ向かう。これは自然の摂理であってそれに逆らう事は有りえない。するとその動物を狩って食料としていた人間だって北へ行くに決まっている。ところが縄文人北方渡来説ではこの自然の摂理に反してきたことになる。


 細石刃石器はマリタにしかないのであろうか?いや、2万3千年前のマリタより早い4万年前の南アジアに細石刃石器があったのである。南方では細石刃石器はマリタなどと違い、狩った動物の皮を切ったり、肉を切ったりするのに使われていた。インドネシアでもフローレス島で見つかった小人(フローレス人「7~1万年前」)が二万年前に細石刃を使っていた。狩りの為ではなく肉を切る為、日本の縄文時代の使われ方と同じなのである。沿海州の細石刃石器だって南方から来た可能性が十分にある。縄文時代と言えば温暖化で氷河が溶けだし海進で陸地が後退した時である。人も動物も北へ向かっている時のはずだった。(オーストラリアで5万年前の部分磨製石器が見つかっている。日本で見つかった部分磨製石器は3万5千年前で、これまではオーストラリアと日本の物は同時代と考えられて来た。それがオーストラリアで1万5千年も遡ったのだから、日本の物はサフルランドから来たと言う話に蓋然性が出て来る。)


部分磨製石斧
これは欧米の旧石器時代の石斧は握り斧で、力も入らず骨を砕く程度の作業しかできなかった。日本列島やニューギニア島で発掘された部分磨製石斧は木の棒に括りつけて使われるもので振り下ろすとき大きな力が入る。木を切る為、丸太を抉って丸木舟を作る為に使われたのではないか。高緯度地域では寒くて木が生える事などなかったため、磨製石斧も必要なく発達する事もなかった。この石斧は発達して日本では新石器時代の縄文時代には全磨製石斧になり、鑿型の石斧も出来るこれはもう間違いなく丸木舟を作る為の石斧だ。
アメリカ大陸ではインデアンが18世紀まで使用していてトマホーク型石斧と呼ばれるようになる。ただし丸木舟を作る為でなく、主に獲物を取る為の物になっていた。
ヨーロッパにこの石斧が生まれるのは1万年前以降である。ヨーロッパも温暖化して木が生えるようになってから。


最新の遺伝子研究によってマリタ人の分岐は日本の縄文人の分岐より遅い事が判った。
縄文人は15千年前の分岐と思われ、それより遅いのだから、日本の細石刃文化のルーツではありえない。



Karitianaは南米先住民。Mal'ta MA1がバイカル湖の人骨 数字は確率だから100%以外は前後する事もある。
南米人の遺伝子がマリタ人や北欧人等に21%も注入されていると言う事はどういう事か?
南米人と北欧人がある時期同じ場所で生活していたことがあると言う事を示すのだろう。
そして南米人は縄文人から分岐した事にもなっているが、私は同時と考える。
1万5千年前、地球温暖化によりサフルランドが沈み始めると住んでいた人々は移住を余儀なくされる。黒潮に乗って北上したグループと赤道反流に乗って南米エクアドル方面に行った人々がいたのではないか。
この図では現日本人には縄文人の遺伝子が12%ほど注入されているように示されているが、中国人の学者は同じデータを使って「日本人と中国人の遺伝子の差を全て縄文人に影響によるものだとすれば、日本人には縄文人の遺伝子が53%入っている」と言っている。私は中国人学者の方が近いのではないかと考える。縄文人由来と思われるY-DNAのD1b2aが日本人の40%も持っているのだから。D1b2aを8割の人が持っているアイヌは縄文人の直系である。


  沿海州には日本でしか産しない黒曜石の石器も存在する。沿海州には日本から行ったと考える事が出来る。
念の為、私がインターネットで検索したら、沿海州には旧石器時代にロクな遺跡は無く、新石器時代が始まるのは日本より遅く、7~8千年前頃と言う結果が得られた。
 ずっと後代だが、沿海州に渤海と言う国が有って、日本と交流する場合海流を使って航行していた。日本に来るにはリマン海流と言う沿海州から朝鮮半島を経由して南下し、対馬海流に乗り換えて近畿にやって来た。帰りは日本海沿岸に沿って北上して北海道を経由して沿海州に戻ると言うコースを採ったのである。逆のコースは海流に逆らう事になるので困難なのだ。太古の人々も同じコースを通ったとすれば、沿海州にある物は日本から行ったと考えた方が良い。黒曜石が沿海州から出てくるのはその証拠になろう。
日本の方が早く文明が開け、日本の産品があちらから出たら日本からあちらに行ったと考えるのが当たり前だが、日本の学者は何故かそう思わない。


 マリタ遺跡出土の人骨の遺伝子が分析され、東アジア人とは全く繋がりが無い事が判った。実はY-DNAは R なのでヨーロッパ人に近く、mtDNAは南アジア人に近いと言うのである。そう言えば南アジア(インド)では4万年前に細石刃を使っていた事が判っている。
マリタ人だって何処からか来たのだ。彼らの使った細石刃は発達していた。彼らが縄文人より遅くマリタに行ったとするなら日本にあるものより発達していても不思議が無い。


マリタから東進して沿海州へ、沿海州から樺太、北海道へと細石石刃のルートを考えていた北方起源論の学者には意外な結果だったであろう。マリタ遺跡のゲノムでは7千年前のスペイン古人骨と似ていて、黒い肌をしていたと考えられる。少なくとも、マリタ人は東アジア人とは血縁関係が無いのだから、細石刃が北方から来て、人も北方から来た根拠にはならない。日本列島の細石刃が絶対南方から来たとも言えないが、細石刃が北方由来だとしても、縄文人が舟を操って大陸まで出かけて細石刃の手法を手に入れて使ったと考える事も出来、縄文人が北方から来たのでは無いと言える根拠にはなる。


肌の色
 2万4千年まえ(と言う年代には疑問があるが)のマリタ人と他の東アジア人とかなり離れた位置にある。遺伝的にはマリタ人の遺伝子はアジアには残されておらず、マリタ人は欧州人の遺伝子に近い。マリタ人はアジアには遺伝子を残さず、滅んだか、欧州へ行ったかのどちらかであろう。7千年前まではヨーロッパでも黒い人が棲んでいた。マリタ人も出土したマンモスの牙で出来た女神像は顔や体が黒く塗られ、色の黒い人であった事が推測される。 白人が生まれたのは一万年前以降の事だ。新モンゴロイドと言うアジアの白人が生まれたのも7千年前以降だ。そう言う事を理解して歴史像を組み立てなければならない。
なお、3千年前の縄文人は黒くはないが浅黒い肌であったとされる。高緯度地域に長く住んでいる内に色が薄くなったのか?
新モンゴロイドは二万年前に寒冷化適応して肌色が薄くなったとする説が通説で、信じている人も多いだろうが、古代人骨から遺伝子が読み取れるようになって通説は覆されてしまった。
中国南部でも6千年前に古モンゴロイド風浅黒い人が暮らしていた事が人骨から復元された顔で判っている。


 近頃、遺伝子や細石石器を理由に縄文人は北から来たという学者が増えている。


彼らは本当に考古を調べたのであろうか。沿海州に細石刃があるのかどうかネットで調べた。数万年前から続く遺跡があると言う紹介はあるが、どのような旧石器があるのか定かでない。出土しているのは人骨ではなく、動物の骨や植物ばかりのような記述である。1万3千年前位からは人の痕跡があるようであるが、新石器時代の開始が7~8千年前と言う事で、日本より大分遅れている。樺太の文化も日本より遅く、黒曜石が出ている事など、日本の縄文文化が伝搬したものである事が判っている。日本には確かな所で35千年前の旧石器遺跡も有り、東北でも1万年前には縄文時代に入っている。沿海州から縄文人が来たなんてバカな話が成り立つ訳が無い。


旧石器時代捏造事件


 旧石器捏造は通説では一人の歴史愛好家が石器を捏造してあちこちに埋めて歩いた事件とされている。
しかし、数千点にも及ぶ石器を一人で捏造出来たであろうか。
宮城県の議事録を読むと文科省が関与して捏造が行われた可能性が強く浮かび上がってくる。


 旧石器捏造も縄文時代北方由来も、邪馬台国畿内説も、日本の万世一系論をでっちあげるための策謀のように思える。「日本は前期旧石器(神話)時代から、現代まで世界中のどの国よりも長大な歴史を一系の人種で繋いで来たのだ。」と言う歴史をでっちあげる為には、前期旧石器も存在しなければならないし、縄文人も旧石器時代から日本にいなければならない。弥生時代も縄文人が大陸の文明を取り入れたに過ぎない。邪馬台国も万世一系の為には奈良県になければならない。記紀に書いてある前660年に神武天皇が奈良県で即位したと言う事を事実とする為には即位したのが縄文時代では如何にも都合が悪いから、弥生時代は紀元前10世紀に始まっていなければならない。等々次々に捏造された歴史を生み出そうとしている。


中期旧石器
 まだ、旧石器捏造事件の後遺症で4万年前以前の旧石器時代については全否定され、石器発見の情報は散見するけれど、本格的研究には未着手である。
 12万年前あたりの中期旧石器時代はあったとする学者がいないでもない。

 日本で人類が産まれたわけではないので、どこからが来たには違いなないのだが、東アジアには古くても6万年前で、しかも、その数も非常に少ない。来るとすれば朝鮮半島を介して来たと一般には考えられているので、中国東北部より日本に早く文化が誕生していたというのは荒唐無稽と思われているからで有る。
しかし、近年、フィリピンで13万年前の旧石器遺跡が発見された。
 フィリピンで中期旧石器時代が始っていたのなら、13万年前にフィリピンから黒潮に乗ってやってきた人がいても不思議はない。
あると断定しているわけではない。あったとするなら後期旧石器人や縄文人と同じように、南方からやってきた可能性が高いと言っているのである。


旧石器時代は大陸より、日本が遥かに先進地帯だった可能性が高い